この世で最大の謎

2017.11.17 Friday
イナナキアを語る上で外せない問題がこれ。

この世で最大の謎ってなんじゃらほい。

ググってみたらこんなまとめスレが出てきました。
こういうの大好き。

スレのなかでも出てきてますが、私の中での謎って「死後の世界」とか「宇宙の外側」とかそっち方面になるんですよね。個人的に「生きる目的」とかそういった抽象的なものにはそもそも答えがないから謎ですらないっていう解釈です。

そう考えると、24レス目の人が言ってるように、最終的に科学で証明されてしまうものこそが謎であってほしいのかなあって思いました。それでいて、自分が生きている間にはほぼ確実に解けるわけないんだろうなっていうのが最大の謎かなあって。

例によって親友の蝉に聞いてみたところ、むずかしいと前置きした上で、やっぱり宇宙とか時空かなっていう答えが返ってきました。こいつもやはり私と同じ人種なのかもしれません。

イナナキアで描きたいのはその先のお話なので謎そのものではないんですけど。

皆さんには、これっていう謎がありますか?


-----

無償の愛とは

2017.11.14 Tuesday
世界は、幸運と不幸のバランスで成り立ってるなんて言われます。

今朝のテレビで、幸運の裏で不幸なことが起きる海外ドラマの話をしてたんですが、それって何を基準に幸運、不幸って言ってるの?って思いまして。

結局は幸運も不幸も人によって違うよねって思ったのでそのお話です。

人によって幸せの形が違うから、人が誰かに幸せを与えようとした場合、それは相手の事を思って行動しなくてはならないはず。それはすなわち、愛ってやつなのでは?

だとすれば、世界を幸せで満たそうとするには、世界をラヴで満たさないといけないってことなんでしょう。

では、よく言われる無償の愛ってなんでしょうか。
説明しろって言われたら結構難しそうだったのでググってみました。
要約するとこんな感じです。

「無償の愛」は何か考えるときに一番重要なことは、それが「自分の意思により選択したものかどうか」です。つまり、自分の意思で「この人を愛する」と決めたのであればそれは「無償の愛(アガペー)」と言えます。自分の意思によって決めたことなので、相手が見返りをくれるかくれないかは関係ない、そういった愛になります。
(引用元:「無償の愛」とはなにか? 幸せな結婚を手に入れるヒント

概ねそんなとこだろうと思ってましたが、まあそんなとこでした。

でもね、私はこれだけじゃいかんと思うわけですよ。
無償の愛だけでは、愛する人は救えても、世界をラヴで満たすことはできません。
なぜかって?全員が全員アガペーの対象になるわけではないからです。

そこで気づいたのがエリィさんの言葉です。
いやあ、ほんとゼノギアスすごいね。まさに真実が語られてる。
こないだもちょっと触れましたけど結局ここに収束するんだよなあって思います。

自分の中で疑問を昇華するとすごくスッキリしますね。

関係ないけどギリシャ語の愛の中にフィレオ(兄弟愛)ってのがあるんですね。

えびフィレオ・・・おまえエビの兄弟愛やったんか・・・・・・
って思ったらフィレ(切り身)のことでした。そのまんまやないかい!

Web拍手レス


ナナさん開発頑張って!!
遠名なっつより


遠名さんお久しぶりです、こんな辺境の地へようこそ。
ありがとうございます、開発がんばりますよ〜。
-----

鶏が先か卵が先か

2017.11.13 Monday
風邪がなおりませんねえ。

もう一週間目ですが、R-1のみ続けたところで、かかってしまったら別に早く治るわけでもないようです。

さて、久々にイナナキアのシナリオ考えてたんですけど、どうにもいかんですね。
忍屋で培ったことが色々あるはずなのに、なかなかうまくいかない。

今回邪魔している要因のひとつはあれですね。

これが私の一番描きたかった世界観じゃい!っていう朧げな感覚があるのに、その描きたかった世界観が明確に定まってないっていうところ。

そう、いつだって私を邪魔しているのは昔の私が考えた謎設定のせい!
忍屋だってそうだったのに、イナナキアも高校生時代から考えてたせいでその時の自分が邪魔してくれてるわけです。なんてこったい。

小池一夫さんの教えによれば話より先に、キャラを動かすことが先らしいんだけど、それだと矛盾のない緻密な世界観って作れないと思うんだけどどうなんでしょう。

週刊連載とかならわかるんですよ、その都度ユーザーを惹きつけないといけないから、そういった手法で進めていくっていうのは。ただ予め描きたい世界観があるのにキャラ動かしてどうにかなるの?っていう疑問があります。

鶏が先か卵が先かっていう問題ですねこりゃ。

ちなみに鶏と卵の話って、とっくに正解はわかってるんだけど昔の人がいったことわざみたいなものだと思ってたんですが、2017年現在もリアルにわかってないみたいですね。科学的に言えば鶏だけど他の学問からするとその限りではないとか、ニワトリどんだけだよ・・・。

シナリオ考えてるとね、主人公とかヒロインとかイメージボードとか描きたくなっちゃうんですが、今回はイラストは意地でも描かない手法をとってます。描いちゃうと、使わねば、とかこれが正解なのだっていう謎の固定観念が生まれちゃいますからね。

テーマを決めて、それを貫くストーリーにするのか。
キャラクターを動かして、ストーリーをつくるのか。
世界観から逆算して、ストーリーを作るのか。

さあ、正解はどれ!!

Web拍手レス


FF10のリュックは最初に会ったキャラってだけで、ヒロイン枠のユウナはしっかりヒロインしてた気がします。
FF12とかどうなんですかね、幼馴染のパンネロはちゃんと幼馴染してたのに主人公が空気なのでヒロイン感はなく、ゲーム上のヒロインはアーシェなんだろうけどそっちは主人公との絡みはあんまりない。
一般市民と王女様の距離感という意味ではまったく間違ってないんですけどね@長月チャカ


ユウナはちゃんとヒロインしてましたね。FF10はヒロイン枠はひとりでした。キマリもかわいいけど。FFは基本的にプレイしたことがないので知らないことだらけなんですが、FF12は特に情報を仕入れてないのでストーリーも知らないんですよね。ヴァンが空気でバルフレアが主人公っていうのはよく聞きますけど。
-----

理想のヒロイン像

2017.11.12 Sunday
ヒロインという存在について、嫁さんとあれこれ話してました。

男性からみたヒロイン像、女性からみたヒロイン像で違うだろうし、どちらからも好かれるヒロインであってほしいなあって思って聞いてたんだけど、なんとも難しい問題です。

嫁さんの好きなヒロイン像を総括すると

・つよい
・けなげ
・嫌味がない

そんな感じでした。

逆に言えば守られるだけのヒロインは嫌いみたいでした。しかしそういったヒロインが同作品にいるから引き立っているというのもあると思います。

ダブルヒロインの作品はよくあるけど、私個人の意見として気に入らない設定があります。

それは、幼馴染ともう一人ヒロインがいたとして、もうひとりのヒロインが外界からポッと現れ、主人公はそっちにほいほいついていくシチュエーション。これが嫌い。幼馴染いるのに何別の女にホイホイついていってんだよってなる。得てしてこのパターンは主人公が外界にあこがれていて、外界の少女に惹かれてどうのこうのっていうのも多い気がします。

展開的に、外界からきた少女のほうが重要ポジな可能性が高いので、幼馴染がどんどん空気になっていくこともしばしば。

問答無用でそうさせないパターンがゼノギアスに代表される、幼馴染ポジションが開幕死ぬパターン。結果として早々にヒロインは一人だけになります。これもあまり好きではなくて、幼馴染のデザインのほうが好きだった場合目も当てられません。

女性キャラが出るだけで、まるでヒロイン枠に入ってないパターンもあります。
FF10のリュックとかそのパターン。主人公にまるで恋愛感情などない位置づけで、ただの良い奴というのは嫁さんのいう嫌味がない、に該当するんでしょう。

私の大好きなレジェンドオブドラグーンはそういう意味だと頑張ってた感があります。

ダブルヒロインなのに、すごく住み分けがしっかりしていたなあと。
幼馴染はラスボスの魂だったし、外界からきたヒロインは主人公というより主人公の親父が好きで重ねてただけだったし、主人公も幼馴染のことをちゃんと好きでいたし、3人目の女性キャラはリュックポジですごくいい子だったし、最強じゃん・・・。

一点クソだったのが、幼馴染ヒロイン脱退からの代わりにミニスカBBA参戦という意味不明な展開があったので、あそこだけ変えればもう完成じゃね?とさえ思えてくる理想像。

あらたな光明が見えてきたところで設定考え直してみます。


-----

知ることのない遠い未来

2017.05.08 Monday
自分が死んだあとの世界ってどうなっているんだろうか。

そんなことが気になるこの頃。

未来では、車は空を飛んでるかもしれないし
宇宙旅行が盛んになってるかもしれないし
コロニーで基地を作ってるかもしれないし
VRやARを越えた何かの娯楽が待っているかもしれないし
人類の冷凍保存やロボットとの恋愛が生まれているかもしれない。

そんな空想でしか見たことのない世界を想像することはできるけど
実際にこの世で起きる事象として、自分の目で見ることは
ないんだろうと思うと少々悲しい気がする。

・・・しかし本当にそれが悲しいのだろうか?

たとえば。

10年後の未来を見せられたとする。
とある団体の予想によれば、体内に埋め込む携帯電話ができてたり
肝臓が3Dプリントされてたりするらしい。
ちょっとそれだけで近未来のSF感があるじゃないか。

100年後の未来はどうだろうか。
とある科学者の予想ではこんな具合だ。
3Dプリンタで建物もシェフの料理も一瞬でできてしまうらしい。
会社の真後ろの席で毎日ずっと稼働している3Dプリンタを見ていると
とてもそんなすごい未来が待っているとは思えないが
世間はどんだけ3Dプリンタに期待してんだと思ってしまう。
あとは病院がなくなってるとか、お医者さんカバンの登場だろうか。
海の中に住居を構える人が出てきたり、レジャーの行き先に
ついに宇宙に行っているらしいが、100年でやっとそんなところだ。

1000年後はどうだろうか。
こうなると人類がそもそもいるかどうかって話になるみたいだが
仮に生きてたとしたら、新たな人類に変わっているとか
シドニアみたいに人間が光合成するとかそんな感じらしい。
DNAを自在に組み替えれて、宇宙に適応した生物になることも可能だとか。
あとは超優秀な人工知能とかそんなところ。
実際に起きるよと言われると少々嘘くささが残るが
先人たちの創作物のおかげで、このあたりも想像に難くない。

そう考えると、人類が住める場所を探すというよりかは
人類が環境に合うよう変化すると考えたほうが技術的には先のようだ。

ここまでざっくりと1000年先の未来までの予想記事をサーフィンしただけで
まるでタイムマシンに乗ってネタバレをくらった気分なのだが
1000年経とうが、人類は生きることに執着しながら
まだ見ぬ謎へ向かっている様が見て伺える。

冒頭で私は自分の目で見れないことが悲しいと表現したが
きっと私は、それそのものが悲しいのではなくて
その世界を永遠に知ることはできないというその事実が
何よりもどかしいのだろうと思う。

なぜなら、今本当に10000年後の世界をみせられたところで
へ〜こうなってるんだ!すごーい!
となって数分後にはきっと興味が薄れていると思うからだ。

まさに私が次回作「イナナキア」で表現しようとしていたことが
このあたりに含まれているのだけど、果たしてそんなことでいいのだろうか。
たしかにずっと人類の根本にあるのはそれかもしれないが
もっと何かその先へ、あるいは先ではない別の軸上に
私の求めるテーマがあるのではないか。
そんなことを考えていたら、いつまでたっても作品はできないし
それこそ消化不良のまま人生を終えてしまいそうなので
ほどよいところでテーマを確定させたいところだけど、どうしたもんかなあ。


-----

Twitterの情報量

2017.02.02 Thursday
TwitterのTLを見てると、ほんと毎日いろんな情報舞い込んでくる。
本来であれば気づけなかったかもしれないことや
気づくまでにすごく時間がかかっていたかもしれないことも
世界中の人たちの発見によって自分のもとへと舞い込んでくる。

それら全てに共通して感じられる「人間というもの」を毎日考えさせられるが
根本的にあるものはきっと同じなんだろうなあ。

そんなわけで今日はTLに流れてきた素晴らしいツイートたちをご紹介。ほんとね、あれこれグチグチいってる自分ってこうなんだと思う。
これも最近の私に言えること。もっと楽しく生きようよってね。
記事にもあるけど、人の感情がこうもたやすく
操れてしまうっていうのがなんとも怖いし興味深い。
20歳サバを読んで行動するっていうのがすごくピンときて
少しくらい童心に帰って物事に向かったほうが純粋に楽しめるっていうのは
分かりやすい例えだと思った。心はいつまでも若くありたいものだ。
この手の話が最近舞い込んできすぎて、もう何が何やらって感じになってる。
そもそも人の感情論に答えを見つけようとしてることがおかしい気がしてきた。
正解なんてないのに、必至にラスボスを探してる主人公達というか。
ゲーム完成したらちゃんとここらも考えないとなあ。

とまあ、ここ2,3日でこの情報量。
いまさらながら、Twitterやばい。

たとえばここで、いやその情報ってどこまで本当なの?
っていう意見があったとしよう。

そう思うのも、それはそれでいいんだけど、たぶん問題はそこではない。
情報が入ってきて、その後それをどう捉えるかはその人次第なわけで
一つのことに対してすぐに答えを出して決めつけてしまうっていうのは
ただの思考停止だろうし、人間として非情に勿体無い行動のように思う。

いろんなものに興味を持ち、いろんな感性に触れながらインプットを増やすのは
作り手にとどまらず人として、とても大事なことなんじゃないだろうか。
-----

生きている対象

2017.02.01 Wednesday
2月が始まりました。

1月というたった31日あまりの間に
ものすごい自分の心境って変わってるだなって。
それこそ付き合いだして数年経ったあとの情緒不安定な彼女のような。

今はといえば、その都度頭を悩ませたおかげか
なんやかんやで支えてくれた人たちのおかげか、少しは落ち着いてます。

それと同時に気づいたことがあるんだけど
「生きてるもの」ってすごいんだなって。

唐突になんだって感じかもしれないけど
例えば、仕事終えて制作にも疲れて、生きることに疲れた時に
嫁さんの膝にごろにゃーんと寝に行ったとする。
ただそれだけで心が落ち着けるって、相手が生きているからなんだなと。

これがもし、対象が柔らかい椅子だったらこの感覚は味わえないだろう。
別に嫁じゃなくても、猫でも同じことだ。
でも、まったく同じ感覚の猫のぬいぐるみだったとしたら味わえない。
寄り添っている相手が生きていると感じられるだけで、安心できるわけだ。

単純なようで、ちょっと新しい発見だったなあと。
イナナキアに関わってきそうな事象だし、また別の機会に掘り下げてみよう。


-----

宗教の謎2

2016.12.10 Saturday
以前、宗教の話を書いた。
あれからまたいくつのかの疑問が浮かんできたのでメモ書きしておく。

私は兼ねてより「宗教は得体が知れないから信じれないのだ」と思っていた。

しかし、上の記事で引き合いに出したガッチャマンクラウズのテーマも
言ってしまえば得体のしれないものだということに気づいた。
なのになぜ私はそれを信じて、一般的な宗教を信じることができないのか?

逆に、ちゃんと得体が知れているものの代表例として思いついたのは
科学的根拠のある「化粧品」とかだろうか。
うちの嫁さんもとある化粧品メーカーを使っていて
あれこれその良さを私に話してくれたことがある。
その真偽の程を確かめるようなことはないが、科学的根拠というのは
いつの時代に置いても絶対的な力を有している気がする。
それは人間にとって、神や仏よりもずっと身近だからだろう。
とはいえ、別にこの科学的根拠ですら、実際に自分で白衣を着て
試験管片手に調べたわけでもないのに信じてしまうあたり
前者たちと一体何が違うのかと言われれば、曖昧な気がする。

恐らく、化粧品は間違っていた場合、社会的に罰則が下るというのを
知っているから、まだ下っていないこの商品は根拠のあるものなのだと
私たちは調べずとも理解できるから信じられるのだろう。

これらの理由から「得体が知れないのに、経験則で信じてしまう」
この法則が、上記のどれにも共通して言えるのだと気づいた。

「宗教」
・得体が知れない精神論
・教えとありとあらゆる身近な事象を結びつけて信じている

「ガッチャマンクラウズ」
・得体が知れない精神論
・テーマが自分たちの社会と同じものが題材なので理解しやすい

「化粧品」
・得体が知れないが科学的根拠があるらしい
・人間は科学的根拠にめっぽう弱い

まとめるとこんな感じだろうか。

今まで、宗教は嘘くさいもの!って決めつけてたけど
結局は全部、自分が信じられるかどうかの二択でしかないという
事実がわかっただけでも大きい。

そして大事なのは、その自分が信じた道というのは
あくまで自分の経験に則って自分が信じただけであって
それを他人に強要できるかどうかはまったくの別物だということ。

そんなことも理解せずにただ押し付けてくるようなやつには
こちらも負けじと投げとリバサ昇竜の二択をしかけて
どんどんパなしてけばいいと思う。


-----

宗教の謎

2016.10.19 Wednesday
皆さんは宗教と聞いて何を思い浮かべるだろうか。

嘘くさいもの、と思うひともいれば
信じるべきもの、と思う人もいるだろう。

親しい仲でも宗教と政治の話はするなと言われる程度にはタブーな話題だ。

今回、そんなタブーに触れようとしているのも
ご多分に漏れず新作ゲームの設定のため。

RPGに出てくれば、もれなく裏がある組織ではあるが
真っ当な宗教を描きたい場合、自分なりの正解を見つけていないと
ゲームの中でも真っ当に描けないので困っていたのだ。
というわけで、私利私欲のために使われる宗教はここでは除外している。

今回、宗教について私なりの答えがでたのでそれを紹介する。

『宗教とは人の心を綺麗にするためのもの』
この一言に尽きる。

さっそく信じる人、信じない人の意見をもとに考察していこう。

信じる人「お経を唱えれば救われるよ。

信じない人「なんで?ありえないでしょ。

ごもっともな意見だ。
信じない人は、基本的に目に見えないものを信じてしまっている人を
ただの頭のおかしい人だと思うだろう。無理もない話だ。
かくいう私も、そこにはかつて疑問を覚えたことがある。

お経?

実際は空気を振動させた音にすぎないのに
なぜそんな謎の効力を持ってるの?と。

お経を唱えることで救われるなら
一言一句飛ばさずに読もうよって思っていた。
複数人が一斉に唱えてる時、息継ぎのタイミングで周りにあわせて
数文字飛ばしてますやんって思ってた。

でも問題はそこではないことに気づいた。

別に呪文の詠唱じゃないんだから
一言一句読まないと技が発動しないとかではなくて
それを唱えることで心を落ち着かせて、教えを信じ切ることで心を清め
ちょっとやそっとの争いごとや嫌なことにも動じない心を
常に持てるようにしましょうっていう単純なお話だったのだ。

ガッチャマンクラウズでいう、ちゃんと自分で考えて
自分の答えを出して、簡単に周りの空気に流されるなという
はじめちゃんの有り難いお言葉と同じことなのだ。

こうして説明をすれば分かりやすいけど、なぜそうしないのか?

それは、分かりやすいが故に、相手にされないからだ。

そんな単純なことなら、別に宗教なんて入らなくても
要は心の持ちようってことでしょ?じゃ私はいいです。
って人が世の中に圧倒的に多いからだ。

それならいっそ、嘘くさくてもいいから
ある種、洗脳に近い形で信仰者を増やしたほうが
結果としては理にかなっていると言える。

洗脳と聞くと聞こえは悪いが、得られるものは結局同じだ。
だってその人達の心は、信じた結果落ち着いていくのだから。

ただ、ここで面白い設定がある。

それは宗教によっては生まれ変わっても業が引き継がれるというもの。
強くてニューゲームではなく、弱くてニューゲームといったところか。

人の記憶は残らないにも関わらず
業が続くというのはなんとも面白い設定だ。
だから人類は何世代にもわたって
その悪業を取り除いていく作業をするのだという。

こればかりは目に見えないし、具体例を挙げて
どうこうできる問題ではないので説明しようがないのだが
言ってしまえば死後の世界なんか誰もわからないものなんだし
実はリアル世界にもそういうマスクパラメータがあるんすよ
って言われても肯定もできなければ否定もできない。

長文になったが、これらの考え方が合っているなら
わりと自分の中でスッキリするんだけど、どうなんだろうね。

宗教には本当にいろんな設定があって、何か質問すれば
大抵のことに答えが用意されてて正直驚くことのほうが多い。
どんな優秀なシナリオライターでもそこまでの世界観設定考えないよ?
っていうレベルで設定集が分厚い。

しかしそれこそが、実際に宗教を立ち上げて
これまで考え抜いてきた人の企画書に他ならず
多くの人の心を真っ当にするために作り出された
膨大な設定資料集なのではないかと思う。

人は、表面的な部分は変えられても
根っこの部分はそう簡単には変われない。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから」に始まる
マザーテレサの言葉があるが、その思考の部分を変えるためには
雑念を捨てて僧侶の道に進むしか無いというのもうなずける。

しかし多くの人にそんなことやってる余裕はない。
ならばせめて、自分の意思で考えて周りに流されず
生きてみようと思えるあたり、私は立派な
ガッチャマンクラウズ教なのかもしれない。


-----

善行と悪行

2016.10.16 Sunday
この世に、善行と悪行があったとして
果たしてその査定は誰が行うのか?という疑問が浮上した。

この日、私はスーパーの駐車場に車をとめて
そのままスーパーには寄らずに近くの駅へ行き
駅前のケーキ屋で母親の誕生日ケーキを買って帰った。

少なからず似たような理由で、用もないのに
一時的に近くへとめる人はごまんといるだろう。
さて、これは善行だろうか?悪行だろうか?

スーパーからすれば悪行のように見える。
スーパーに用がないのに駐車しているのだからそうだろう。

しかしここで理由を説明したらどうだろうか。
母親の誕生日ケーキという比較的同情を誘いやすそうな理由があり
駅前に車をとめることが困難故に少しだけ使わせてもらったとなれば
少しくらいなら仕方ないですね、と許されるかもしれない。
こうなれば悪行が許されたと見ていいのではないか。

ただこれがもし、ただ友達と遊びに〜だったり彼女を迎えに〜
なんて理由だと、同情を誘うどころか反感をかいそうである。

ここからわかるのは、善行か悪行かを決めるのは
関与した人(被害者)の采配、さじ加減ということだ。

この謎をもう少し突き詰めて考えて、ある種答えが出せれば
きっとイナナキアに役に立つ情報になる。
ゲームのシナリオにおける善と悪を描くのに
より説得力を持たせられるからだ。

ゲームのシナリオにでてくる悪は得てしてぶっとんだ設定が多い。
PLが悪側に共感してしまっては遊びづらいからだ。
これをどちらも共感するような作りだと非常にPLは困るだろう。
ラスボスがすぐ全てを無に還したがるのはそのせいだ。

しかしここにもう少し踏み込んで
別の観点から描いてみたいものである。


-----